本校のある柳井市は、山口県の東南に位置し、古くから水陸交通の要衝であり、江戸時代には瀬戸内の物流拠点として栄えていました。明治時代以降も商業の町として発展し、今も市内に残る商家の白壁の街並みは往時をしのぶ柳井市の象徴となっています。
柳井高校は、明治40年(1907年)に開設された玖珂郡柳井町立柳井女学校と、大正10年(1921年)に開設された山口県立周東中学校を母体としており、時代の変遷の中でそれぞれ柳井高等女学校、柳井中学校と校名を変え、昭和24年に両校が統合され、現在の校名である山口県立柳井高等学校となりました。本年度で創立119年目を迎える県下有数の歴史と伝統のある普通科高校です。
本校は、「右文尚武」(文武両道の意)を校風とし、創立以来、学業はもとより部活動や学校行事などの体験的な学習を高校生活の両輪として捉え、幅広い知識の習得とともに、豊かな心と実践力のある生徒の育成に取り組んでまいりました。100年を超える歴史の中で多くの優れた人材を各界に輩出し、卒業生は国内外を問わず広く活躍をしています。部活動においては、卓球部が昭和32年にインターハイ優勝、硬式野球部は昭和33年に夏の甲子園優勝、昭和47年には準優勝するなど、全国大会等で輝かしい成績を残しています。こうした伝統から地域の皆様より親しみを込めて、学校は「柳高(りゅうこう)」、生徒は「柳高生(りゅうこうせい)」と呼ばれており、多くの方々の熱い期待と温かい声援を受けて、勉学、部活動、学校行事などに意欲的に取り組み、充実した毎日を送っています。
そうした中、学校を取り巻く状況は、少子高齢化・人口減少社会の進展により大きく変化し、県教育委員会では、令和4年3月に、中・長期的視点に立って本県高校教育の質の確保・向上を図るため、特色ある学校づくりと学校・学科の再編整備等を主な内容とする「第3期県立高校将来構想」を策定したところです。
その前期実施計画において、柳井・周南地域の柳井高校・柳井商工高校・熊毛南高校・田布施農工高校・熊毛北高校の5つの県立高校が、普通科と商業に関する学科を設置する、新しい「柳井高校」と、農業・工業・家庭に関する学科を有する、新しい「田布施農工高校」の2校に再編統合されることとなりました。
新しい「柳井高校」は、本地域のこれまでの高校教育の歴史と実践を引き継ぎながら、普通科「確かな学力と豊かな人間性を培い、他者と連携・協働してグローバルな社会に貢献できる人材の育成」及びビジネス情報科「商業に関する専門性を身に付け、他者と協働して地域経済や社会の活性化を担う人材の育成」をコンセプトに、令和8年度から生徒を募集します。
特色としては、普通科における「難関大学進学をめざす進路指導」や「地域課題解決に向けた探究学習」の取組、ビジネス情報科における「商業に関する高度な知識・技術の習得をめざす実践的な指導」や「新たに設ける『進学コース』の取組」を軸に、本地域の子どもたち一人ひとりが、自分の可能性を見つけ出し、若者らしいチャレンジ精神をもって希望進路の実現に邁進できますよう、全力で取り組んでまいりたいと考えております。
学校として、現「柳高生」の進路実現や高校生活の充実にしっかりと取り組みながら、新しい学校づくりにも取り組んでまいりますので、今後とも御支援・御協力のほどよろしくお願い申し上げます。
令和7年4月
校 長 松本 剛
スクール・ミッション
「右文尚武」の理念のもと、文武両道をめざし、生徒一人ひとりの自己実現を支える創造的な教育活動を通して、確かな学力と豊かな人間性を備え、地域や世界に貢献できる広い視野と愛情をもつ人材を育成します。
スクール・ポリシー
■グラデュエーション・ポリシー(高等学校学習指導要領に定めるところにより育成をめざす資質・能力に関する方針)
○「右文尚武」の校風のもと、確かな学力と幅広い教養を身に付けるとともに、健康で安全な 生活を自身で創出する力を育成します。
〇次世代を担うリーダーとして、他者と連携・協働しながらよりよい地域・社会の構築に貢献できるよう豊かな人間性とふるさと愛を育成します。
■カリキュラム・ポリシー(教育課程の編成及び実施に関する方針)
○協働的な学び(協働学習)や個別最適な学びの充実により生徒一人ひとりの自己実現に資する教育課程を編成します。
○「湧源」(総合的な探究の時間)を中心に、地域・社会との連携・協働による探究活動を重視したキャリア教育を推進します。
■アドミッション・ポリシー(入学者の受け入れに関する方針)
○学習に対する意欲が高く、部活動・生徒会活動・学校行事等に積極的に取り組むことができる生徒を募集します。
〇多様な価値観を受け入れ、互いの人格を尊重しながら切磋琢磨しようとする生徒を募集します。
本年度の努力目標
○進路実現につながる学力(知識・技能、思考力・判断力・表現力、主体性・多様性・協働性)及び自己管理能力の育成
○課題解決能力の育成をめざした普通科進学校における総合的な探究の時間の推進
○自立精神の涵養と思いやりのある人間関係づくりの推進
○地域理解の深化と地域貢献の意識の高揚による「ふるさと愛」の醸成
〇教職員・生徒が一体となった「新・柳井高校」への円滑な移行及び学校全体の業務改善
チャレンジ目標(令和7年度)
・フィナーレ~未来の扉を開ける最後の一歩~
柳井高等女学校(東校舎)
明治40年 4月 山口県玖珂郡柳井町立柳井女学校開設
明治43年 6月 山口県玖珂郡柳井町立柳井高等女学校と改称
大正 3年 6月 山口県玖珂郡立柳井高等女学校と改称
大正12年 4月 山口県立柳井高等女学校と改称
昭和22年 4月 学制改革により山口県立柳井高等女学校併設中学校を附設
昭和23年 4月 学制改革により山口県立柳井女子高等学校設置、普通科及び家庭科を設置
昭和24年 3月 山口県立柳井高等女子学校廃止、同併設中学校廃止柳井中学校(西校舎)
柳井中学校(西校舎)
大正10年 4月 山口県立周東中学開設
大正11年 5月 現在位置に校舎落成移転
大正12年 4月 山口県立柳井中学校と改称
昭和22年 4月 学制改革により山口県立柳井中学校併設中学校を附設
昭和23年 4月 学制改革により山口県立柳井高等学校設置、普通科を設置
昭和24年 3月 山口県立柳井中学校廃止、同併設中学校廃止
柳井高等学校
昭和24年 4月 山口県立柳井高等学校および山口県立柳井女子高等学校を統合して山口県立柳井高等 学校設置、普通科及び家庭科を設置
昭和35年 7月 鉄筋コンクリート三階建普通教室12室新築完工
昭和35年 9月 鉄筋コンクリート二階水洗便所新築完工。東校舎を閉鎖し現在位置に校舎を統合
昭和36年 3月 鉄筋コンクリート三階建普通教室9室及び水洗便所三階新築完工
昭和37年 3月 鉄筋コンクリート三階建普通教室3室及び渡廊下昇降場新築完工
昭和38年 4月 家政科設置、家庭科生徒募集停止(家庭科廃止は昭和40年3月)
昭和38年 6月 理科特別教室完工
昭和40年 7月 家庭美術特別教室完工
昭和41年 7月 本館前半(保健室、会議室、社会科教室など)完工
昭和42年 3月 本館後半(事務室、校長室、職員室、図書室など)完工
昭和43年 8月 屋内運動場及び附属施設完工
昭和44年 3月 家庭経営保育室及び音楽教室完工、補習科教室引家改造完工
昭和45年 4月 格技場完工(旧講堂改装)
昭和50年 3月 アルミプール(25m、7コース)完工
昭和50年 7月 弓道場完工
昭和56年 2月 屋内運動場改修完工
昭和56年 4月 家政科生徒募集停止(家政科廃止は昭和58年3月)
昭和57年 3月 鉄筋コンクリート三階建普通教室(多目的教室)3室完工、進入路整備事業完工
昭和57年 11月 創立75周年記念式典
昭和59年 3月 鉄筋コンクリート二階建視聴覚教室他完工
昭和60年 2月 野球部雨天投球練習場完工
昭和63年 8月 格技場(旧講堂)解体撤去
平成元年 3月 柔剣道場並びに雨天練習場完工
平成 4年 4月 普通科科学英語コース設置
平成 6年 3月 LL教室整備創立
平成 9年 10月 90周年記念式典
平成13年 3月 普通教室棟(1号館、2号館)等解体撤去
平成14年 2月 三階建普通教室18室新築完工
平成14年 4月 理数科設置、普通科科学英語コース生徒募集停止(廃止は16年3月)
平成18年 4月 理数科生徒募集停止(廃止は平成20年3月)
平成19年 1月 特別教室棟改築完工
平成19年 10月 創立100周年記念式典
平成20年 1月 屋内運動場耐震改修完工
平成23年 3月 音楽教室耐震改修完工
平成24年 4月 単位制導入
平成26年 3月 管理棟他外壁塗装完工
平成27年 2月 屋内運動場天井板落下防止改修完工
平成29年 8月 管理棟・音楽棟照明設備改修完工
平成31年 3月 校内放送設備改修完工
令和 5年 1月 渡り廊下外壁改修完工
卒業者数
柳井高等女学校 3,476名
柳井中学校 3,012名
併設中学校 324名
柳井高等学校 23,105名
計 29,917名(令和6年度末現在)